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平和堂マイ・デイリー・ライフ
2024/11/05
今朝は、このほど「近江の戦国城郭」という本を出版された、
滋賀県立大学名誉教授の中井さんにお電話をおつなぎして、
お話を聞きました😊
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中井さんはこのたびサンライズ出版から
「近江の戦国城郭」という本を出版されました!
この中で、滋賀県内には1300もの城跡があると書かれています!
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これは、1980年から10年間かけて行われた調査で明らかになったのですが、
城や武士の館の跡が、県内で1300も残っていることが確認されたんです👀
滋賀県内には、江戸時代には「彦根城」「水口城」「膳所城」の3つしかありませんでした。
したがって、この1300の城は戦国時代以前の城ということになります🏯
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一般的には、武士の家には「本家」と「分家」があって、
本家だけが城を構え、分家を従えるというならわしだでしたが、
甲賀郡には、「同名中」という組織がありました。
「同名中」というのは同じ苗字を持つ者の一族、という意味で
本家と分家が、みんな一つずつ城をもち、
対等な関係を持ちながら団結していました。
そのため、甲賀郡には非常にたくさんの城があったことがわかったんです!
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滋賀県全体としてみても、城が多いということは、村が豊かだった、といえます。
他の地域では、二つ、三つの村に一人の領主がいる、という形でしたが
近江は、戦国時代で77万石と、全国で屈指の生産力を誇っていたため
ひとつの村で、ひとりの領主を養えた、この領主が城を造ったために
県内で、村の数だけ城ができた、ということになるわけです👏
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そして、1576年に織田信長が建てた安土城が、日本で最初に石垣で築かれた城だ、
と言われていますが、実は滋賀県では、それよりもおよそ70年前に築かれた
日本で最古級の、石垣の城が見つかっています😄
近江八幡市の琵琶湖岸にあった「水茎岡山城」は、1507年に京都から追われた
将軍、足利義澄を迎えるために築かれた城なんです。
残念ながら、湖岸道路の工事で見つかった石垣は潰されてしまいましたが、大変重要な発見でした!
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また、近江八幡市には、湖東平野にそびえる繖山に築かれた、
観音寺城という山城があります。
近江守護、佐々木六角氏が南北朝時代から居城としていた城ですが、
ここにも、立派な石垣が築かれています✨
安土城よりも20年前に築かれたもので、しかも、安土城の石垣よりも
高い技術が使われている、ということがわかっています
そんなところから、城造りに石垣を用いる、という点で
近江は、非常に先進的だった、ということができるんです🙆
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虫の心配がなくなる11月から3月は、城歩きのベストシーズンです。
木の葉が落ちて草も枯れるので、土塁や堀切といった、城の構造がとても
わかりやすくなりますので、これからの時期、ぜひ城歩きを楽しんでみてくださいね!